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2015年 07月 28日
先日、「Fiat/AlfaRomeo 松濤」でチンさん、ツヨシさん、天野昇子さんを聴いた。 このショールームを設計しながら夜はみんなにここでジャズを聴かせたいなと思い、完成後にクライアントを最初にライブに連れて行ったのはチンさんとツヨシさんのDUOだった。その時からツヨシさんのピアノをここで聴きたいと思い続けてきたので、やっと夢が叶った。 だが、懸念が無かったわけではない。 このショールームは(あたり前だが)普段は車のショールームで、(オープニングの時こそカンツォーネの伴奏用にグランドピアノをレンタルしてくれたが、)普段は生ピアノは無い。なので、ジャズを演る時は持ち運びに便利なシンセサイザーになる。 山本剛と言えば「Misty」、「Misty」と言えばアコピだろう、というわけで、はたしてツヨシさんのすばらしさをみんなにわかってもらえるだろうか、と初めは不安だった。 だが、杞憂だった。 シンセで弾く「Misty」は初めて聴いたが、絶品だった。特に前半分は美意識が凄くて‥‥ 後半はそれに酔ってる自分をカモフラージュするため、サンプリングした昇子さんの声をわざとダビングしながらお茶目したが・・・それも、なかなかだった。 やはりアコピの凄い奴はシンセも凄いのだ。 ふと、ビル・エヴァンスの「Affinity」('78)を思い出した。 このアルバムはビルの最晩年のアルバムの一つで、エレピの演奏が3つ入っている。 これが凄くいい! 「Jesus' Last Ballad」の出だしはゾクッと来るし、トゥーツ・シールマンスのハーモニカとのDUOは深い孤独と憂いに満ちた会話のようだ。 「Tomato Kiss」はビルにしては珍しくファンクなイケテル演奏で、知らなかったら思わず「エッ、これ本当にビル・エヴァンス?!」と言ってしまいそうだ。 「The Other Side of Midnight (Noelle's Theme)」は再び深遠な演奏で、シールマンスとの間に去りし日を懐かしむかのような静かな会話が繰り広げられる。 これ以外のアコピの演奏ももちろんいい。 特に「酒とバラの日々」と「身も心も」は、真夏の暑い午後の木陰に吹く涼しい風のように清涼感と何とも言えないアンニュイを感じさせてくれる。 もちろん、こうしたことはトゥーツ・シールマンスの絶妙なハーモニカがあってこそなのだが、それを認めた上でなおかつ、これらの演奏にはこれまでのビルとは違う吹っ切れたような新しい境地が感じられる。 ビルがフェンダー・ローズのエレピを初めて弾いたのは「From Left to Right」('70)で、その後も「The Bill Evans Album」('71)など大々的にエレピをフィーチャーしたアルバムはあるが、いずれもアコピも弾いてて、ビルは繊細なアコピの音と電気信号的なエレピの音の対比のおもしろさを狙ってこうしたアルバムをつくったのだろう。 だが、「Affinity」('78)ではエレピもアコピのように繊細なタッチとニュアンスの音で、ビル・エヴァンスとしか言い様のないものとなっている。 やはりアコピの凄い奴はエレピも凄いのだ。 ビルの音楽で決定的だったのはマイルスとの出会いだと思う。 同じことはマイルスにも言えて、二人の出会いが無ければモード手法は完成せず、「Kind of Blue」('59)も生まれなかったろう。 モード手法のたゆとうような音の広がりと微妙なゆらぎが加わることで、ビルのピアノの音はそれまでの誰とも違う繊細で微妙なニュアンスの音となる。そしてスコット・ラファロ(b)とポール・モチアン(ds)が加わり、「Portrait in Jazz」('59)、「Waltz for Debby」('61)が生まれる。 これに「Explorations」('61)、「Sunday at the Village Vanguard」('61)を加えたラファロ、モチアン時代の4枚のアルバムがあまりにすばらしいため、ビル・エヴァンス・トリオといえばこのトリオがいつも語られる。だが、その後のエディ・ゴメス(b)、マーティー・モレル(ds)のトリオだってジャズのパッションという点ではむしろ優っているし、最晩年のマーク・ジョンソン(b)、ジョー・ラバーバラ(ds)のトリオだってさらに進化していた。 たぶん、ビル・エヴァンスという人は、自分の美意識を大切にしながら一つの場所に安住することなく常にチャレンジし続けたジャズマンだと思う。 交通事故でスコット・ラファロを亡くした翌年、ギターのジム・ホールと二人だけでインプロビゼーションを繰り広げた「Undercurrent」('62)は立派だし、テイストのまったく異なるエルヴィン(ds)やリチャード・デービス(b)、スタン・ゲッツ(ts)と組んで吹き込んだ「Stan Getz & Bill Evans」('64)もやはり立派だ。(ゲッツとは「But Beautiful」('74)でも共演している) フルートのジェレミー・スタイグと演った「What's New」('69)は結構ホットな演奏で、ビルの違う一面が見られる。 「Affinity」('78)を吹き込んでから2年後、ビルはLiveの途中で倒れ亡くなる。 ビルの晩年は兄ハリーの自殺や連れ合いだったエレインの自殺などスコット・ラファロ以来続く死の匂いで語られることが多く、また長い間の薬の服用で身体がボロボロだったため、彼の死も「時間をかけた自殺」と言われる。 だが私は、自分の美意識に殉じてそれを完成させるためバニシング・ポイントに向かって凄いスピードで走って行ったビルは(人は何と言おうと)幸福だったと思う。 「Affinity」はビルが眠る木陰に吹く爽やかな風だ。 かずま
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by odyssey-of-iska
| 2015-07-28 22:40
2015年 06月 30日
以前、ジャズを聴くようになる前の話を書いたことがあるが(→2013.11.28)、正確にはポップス、フォーク、ロックからジャズへスムーズに移行したのではなく、その間に一瞬だが嵐のように熱烈な共感を覚えた日本のロックンロール・グループがある。 キャロルだ。 初めて彼らを聴いたのは確かお茶の水の(行きつけの「さぼうる」ではない)喫茶店で予備校をさぼってボーッとしていた時で、その時突然流れてきたのが「ファンキー・モンキー・ベイビー」だった。雷に打たれたようなショックだった。 黒い革ジャンとリーゼントをバシッと決めて日本語のロックンロールを激しく歌う彼らはカッコ良く、瞬く間にスターとなり、やがて社会現象となって行った。そしてそれから1年半くらいで呆気なく解散した。 あれから40年が過ぎた。 なぜあの頃あんなに彼らに惹かれたのか、なぜあんなに彼らは魅力的だったのかを知りたくて、解散ライブのDVDを手に入れ観た。 雨の日比谷の野音は当時の若者(どういうわけか真面目な服装ばかり)で一杯で、永ちゃん、ジョニー、ウッチャン、ユウのキャロルの面々はもちろん、彼らの親衛隊のクールスの岩城滉一や舘ひろしも出てきて、懐かしい掘り出し物を見ているような気分だった。 実はこのライブは演奏順に録音されたCDもあり、それと比べるとDVDは(インタビューなどを加え編集されているので)順序も異なり、5曲ほどカットされている。 CDを聴くと、永ちゃんのMCの後、いきなり「ファンキー・モンキー・ベイビー」で演奏は始まる。まだアンプが温まっていないしチューニングもイマイチで、演奏は荒っぽいが生きの良さと迫力は十分だ。やがて調子が出てきて「Good Old Rockn' Roll」や「Johny B Good」など向こうの曲もまるで自分達のオリジナルのように弾きこなす。そして最後は「ルイジアンナ」「エニタイム・ウーマン」(ふたたび)「ファンキー・モンキー・ベイビー」とたたみかけ、「ラスト・チャンス」で終わる。 演奏だけならCDの方が切れ目無く続くので圧倒的にいいが、当時の栄ちゃんやジョニーのステージ上の表情も見れるのでDVDも悪くはない。結局、両方見聴きするとキャロルの魅力がよくわかる。 若いエネルギーを爆発させ(時には暴力的なくらい)聴く者の心にグイグイ食い込んで来る。やがてそれは伝染し、平穏な抑圧された日常から聴く者も解放され、爆発する。だから真面目な普通の人ほど夢中になる。キャロルは別に暴走族御用達のバンドではない。 しかも、これだけインパクトのあるバンドはそれまで無かったし、その後似たようなバンドはいくつか生まれたが、キャロルの捨て身の思いっきりの良さには到底及ばなかった。唯一無二のバンドだった。 4冊の本がある。 「成りあがり」(1978) 「アー・ユー・ハッピー?」(2001) 「キャロル夜明け前」(2004) 「キャロル夜明け前 第2章」(2010) 先の2冊は矢沢永吉の語り口をそのまま文章にしたような本で、特に前者は(彼にインタビューしてまとめた、もう一人の筆者とも言える若き日の糸井重里の功績もあり)名著として名高い。広島で生まれ、極貧の生活を経て上京し、キャロル結成、解散を経てソロで成功するまでの話が独特の矢沢節で語られる。後者はその後日談で、信頼した部下に裏切られて数十億円を失うゴールドコースト事件や、離婚、再婚を経てウェンブリー・スタジアムでロッド・スチュアートらとステージに立つ所で終わる。 後の2冊はジョニー大倉がキャロル結成当時を振り返りながら矢沢永吉との確執を赤裸々に語ったもので、外見とは裏腹に繊細で傷つきやすい青年の生き様がよくわかる。 だが、これらを読むと勝負は最初からついてたように思う。 グイグイ引っ張り、決断力と潔さを持った、男らしい矢沢永吉に比べ、どこまでも悩み、危うい女性的なジョニーとでは、どちらがリーダーにふさわしいかは明白だ。 やはりキャロルは矢沢永吉のバンドだった。 ウッチャンの切れ味鋭いギター、ユウのダイナミックでノリの良いドラム、ジョニーの甘い歌声と派手なパフォーマンスはあっても、それ以上に栄ちゃんの激しい歌声と度胸の良いステージアクション、人を掴んで離さない語り口は強烈だった。 そしてそれらが奇跡的に溶け合いできたのがキャロルだった。 また日本語と英語をチャンポンにして歌詞を歌い、長い間の懸念だった「日本語でロックを歌う」という問題をやすやすと乗り越えたのもキャロルだった。 その後のバンドやJポップの歌は皆これを踏襲している。 矢沢永吉がE.YAZAWAに変わっても、栄ちゃんの本質はキャロルの時から変わらない。 失敗を恐れず、常に攻撃的に、何事にもチャレンジする。 その姿を見てスカッとするファンは多い。 栄ちゃんのファンにはキャロル時代からのファンが多い。 かく言う私もその一人である。 永つまでも聴いていたい。 かずま #
by odyssey-of-iska
| 2015-06-30 18:25
2015年 05月 01日
ジャンゴの名前はMJQの「ジャンゴ」を聴いて初めて知った。
その厳かな曲の印象から、レコードで実際に聴くまでは、てっきりクラシックのような演奏をするジャズ・ギタリストなんだろうと思っていた。 ところが、実際に聴いてみると、ピッキングが独特で、明瞭な音と躍動感があり、不思議な哀愁の香り漂うメロディーと弾き方で、いっぺんに虜になった。 後に、彼の両親はロマの旅芸人で、彼も小さい頃から旅をしながらジプシー音楽を弾いていたことを知った。また、20才の時に半身に大やけどをし、そのため左手の薬指と小指はほとんど使えず、メロディーを弾く時は人差し指と中指だけの独特のコード進行で弾くのだということを知った。 だが、そんなことなど関係ないくらい表現は豊かで、いつもスイングしている。こんなにスイングするギタリストは他にいないだろう。 特に盟友のステファン・グラッペリのヴァイオリンと合わさると、そのスイングは倍加する。おまけに、グラッペリのふっくらしたヴァイオリンとジャンゴの鋭い音色のギターの対比が効いて、アメリカにはない、ヨーロッパの香り漂うジャズが生まれる。 30年程前にヨーロッパを放浪していた頃、パリで突然なぜだかジャンゴが聴きたくなり、ポンピドゥー・センターの図書館のAVルームヘ行った。ところが、さすがに地元で、フランス・ホット・クラブ五重奏団の演奏だけでもめちゃくちゃレコードがあり、どれを聴けば良いのかさっぱりわからない。めんどくさいのでfnacに行き、最初に目に入った「Djangology」のテープを買って、安ホテルのベッドで夜中に聴いた。とても心安まる演奏で、特に「La Mer」(海)はよかった。 このテープは旅の間、擦り切れるくらいよく聴いた。 カルカソンヌで一泊した夜、レストランで「La Mer」をリクエストし、初めて弾くピアニストにスキャットで誘導しながら楽しんだのは、今でも良い思い出だ。 #
by odyssey-of-iska
| 2015-05-01 20:05
2015年 04月 12日
パット・メセニーくらい一途なジャズファンから嫌われているジャズ・ミュージシャンも珍しいかもしれない。 確かにパットのジャズのルーツはビバップやハードバップではなくロックやコンテンポラリー・ミュージックで、だから彼が演るのはフュージョンで、しかもメロディアスでヒット曲も多く、コンサートも満員で、女の子からキャーキャーだから、食えないジャズをずっと下支えしてきた一途なジャズファンからすると、羨望を通り越して反感にまで至るのは当然(?!)かもしれない。 また、その容貌(1954年生まれだから私と同い年だが、未だに青年のようにカッコイイ!)に対する揶揄も少しは入ってるかもしれない。 パットのアルバムで初めて聴いたのは「American Garage」('79)で、丁度ジャズファンの駆け出しだった私は(その頃は一途に黒いジャズを追い求めていたので、)パットのフュージョンは軽過ぎて×だった。その前の「想い出のサン・ロレンツォ」('78)はさらに軽くて××だった。つまり、最初は私はパットに全然関心がなかった。 風向きが変わるのはそれから10年くらい経ったある日の下北沢だった。 まだジャズ喫茶の「マサコ」があった頃で、休日の午後、久しぶりにそこでボーッと時を過ごしていた。 すると、ブラジルの平原に爽やかな風の吹いてくるような曲が流れた。なかなかいいな〜と思っていると、次の曲も、それをさらに助長するような曲だった。そして3曲目は真にツボにハマったような曲だった。 思わず立ってアルバムを見に行くと、「Pat Metheny Group : Still Life (Talking)」とある。そして3曲目は「Last train home 」だった。 私は店を出てすぐにこのCDを手に入れ、その夜ずっと聴いた。 このアルバムはパットの中でも一番ブラジル寄りのアルバムだ。そしてスパニッシュのメロディーとブラジルのサウダージに弱い私には、確かにビビンと来る曲ばかりだ。(ただし、私の好きなブラジルは、明るさと美しさの向こうに人生のはかなさと哀感を満ち潮のように湛えた“海”だが、パットのブラジルはどこまでも明るく陰りのない“空”だ) このアルバムで一番いい所は人間の声が効果的に使われている所だ。 爽やかで、暖かく、人の心に響く。 それが一番成功しているのが「Last train home 」だ。 この曲(というかこの歌)は、懐かしさと共にどこか人を元気にする力がある。だから私はこのCDをこれまで5、6人の人にあげた覚えがある。 このアルバムが切っ掛けとなり、私はパットの他の曲も聴くようになった。 パットには多分、黒いジャズに対する憧れと(時には引け目もあるのか)よくそちらのジャズメンとも競演し、中でもオーネット・コールマンと演った時はさすがにびっくりしたが、結果は×××だった。憧れも空回りすると酷いものになる。 パットのアルバムでよく聴くアルバムは、チャーリー・ヘイデンと演った「Beyond the Missouri Sky (Short Stories)」('97)だ。少し甘めだが、朴訥で静かな暖かい演奏ばかりで、仕事をしながら聴くのには最高だ。 この時、チャーリー・ヘイデンが、パットの色彩的な音色や彼の音楽を評して言った「コンテンポラリー・インプレッショニスティック(印象派的)・アメリカーナ」という言葉は言い得て妙だ。 私は生のパットを一度だけ聴いたことがある。 83年のライブ・アンダー・ザ・スカイでソニー・ロリンズ・カルテットの一員として来日した時の、よみうりランドEASTでの演奏だ。 その時はロリンズを聴くために行ったのだが、パットのギターシンセの音はまろやか過ぎて輪郭がボヤけてる感じであまりピンと来なかった。 やはりギターは生音で聴くのが好きだ。 そして生音を弾いた時のパットはとても好きだ。 私はこれからもパットを聴くだろう。 同い年だから・・・ かずま #
by odyssey-of-iska
| 2015-04-12 23:58
2015年 03月 14日
ウェイン・ショーターはとても不思議なサックス奏者だ。 たとえばロリンズならその本質は「歌」で、いつどの時代の彼の演奏にもそれを感じることはできるし、コルトレーンならその独特な音色と入魂の演奏で、聴き終わった後いつも熱い興奮と軽い疲れを憶える。 だが、ショーターの演奏にはそういう所が無い。どこかクールで、変幻自在で、二人に比べると捉え所のない感じさえする。と言って個性が無いわけではなく、その吹き回しを聴いただけで、あぁ、ショーターだとすぐにわかるし、他の誰とも違う曲想や演奏から音楽性の高さも感じる。 それに目をつけ、アート・ブレイキー、マイルス・デイヴィスという2人の相異なるジャズ界のボスは彼をサックス演奏だけでなく音楽監督にも採用した。そういう奴は他にはいない。これだけでも彼がどんなに優れていたかがわかる。 最初に聴いたのは初リーダーアルバム「Introducing Wayne Shorter」('59)だった。 始まりはビバップ、ハードバップだったが、ブルーノートに吹き込む頃には既にモード手法を手中に収め、新しいタイプのテナー・サックス奏者に変身している。 「Night Dreamer」('64)や「JuJu」('64)は(マッコイやエルヴィンとの競演で)まだどこかコルトレーン的だが、「The All Seeing Eye」('65)や「Adam's Apple」('66)「Schizophrenia」('67)になると、ショーターとしか言い様のない世界が繰り広げられる。そして問題の「Super Nova」('69)「Moto Grosso Feio」('70)「Odyssey of Iska」('70)だ。 この3つのアルバムはそれまでのアルバムとは異なる、というか断絶している。 その最も大きな理由は彼が当時在籍していたマイルス・バンドでのマイルスとの確執で、マイルスはショーターから覇権を奪還し、69年8月にフュージョンの転換点となる「Bitches Brew」をスタジオ録音し、翌年リリースする。 その録音から数日後にショーターは「Super Nova」をスタジオ録音し、「Bitches Brew」より先にリリースする。そしてマイルスと袂を分かつ。 この2つのアルバムはよく似ていると言われる。だが、実際聴いてみると印象は違う。「Bitches Brew」はファンクだが、「Super Nova」はより音楽的で、やはりショーターはショーターだなと思わせる。 「Super Nova」はソプラノサックスが風雲急を告げるタイトル曲の「Super Nova」が有名だが、私は混沌と静寂の入り混じった「Dindi」の方が好きだ。原曲はアントニオ・カルロス・ジョビンで、この辺りからショーターのブラジル志向は始まる。 「Super Nova」は激しい演奏だが、まだ形式の枠組みを保っている。だが、翌年4月録音の「Moto Grosso Feio」、8月録音の「Odyssey of Iska」になるとその枠組みを外し、よりフリーフォームになっていく。 「Moto Grosso Feio」はアマゾン河の意で、どこか明るい土着的な激しいフリーな演奏が続く。と言ってもさすがにショーターで、コルトレーンの「Ascension」('65)やオーネットの「Free Jazz」('61)のような真正フリージャズにはならず、どこまでもイマジネイティブで音楽的だ。 こちらを動とすれば「Odyssey of Iska」は静にあたる。 Iska はナイジェリア語で「風」の意で、その名のとおり「Wind」「Storm」「Calm」と風の様態の変化を写し取ったイマジネイティブな演奏が続く。 そして4曲目に友人のボビー・トーマスが作曲したボサノバの「De Pois Do Amor, O Vazio」(これはAfter Love, Emptiness という意味で、とても意味深だ)で美しい間をつくり、最後に激しい「Joy」で終わる。 今聴き直してみても、この頃のショーターが一番実験的で、刺激的でおもしろい。コマーシャルとは無縁で、Jazzの極北を目指し、ひたすら純粋に音楽を追い求めていた。 この後、ショーターはジョー・ザヴィヌルと「Weather Report」を結成し、新しい局面を迎えるが、だんだんポップで聴きやすい音楽へと移行して行く。その頃ミルトン・ナシメントとつくった「Native Dancer」('74)を聴くとその辺りの変化がよくわかる。 と書くと、まるでショーターのことを最初から好きでよく聴いてたように思われがちだが、本当はその逆で、あの浮遊感が(人によってはオカルト的と言うが)苦手で、最初に「Odyssey of Iska」のアルバムを友人から借りて聴いた時も、1回こっきりでやめた。だが、その不思議なタイトルだけは深く心に残った。 その後、私はヨーロッパに放浪の旅に出かけ、レマン湖のほとりである啓示を受けた。 その時、湖の向こうから「Odyssey of Iska」という声が聞こえた。 旅から戻ってスケッチ集をつくり友人達に配る時、タイトルにその名を付けた。 やがて事務所を立ち上げ、名前を付けることになった時、それ以外の言葉は浮かばなかった。今ではこのアルバムは私のとても好きなアルバムとなっている。 ショーターが一番自由で、その音楽人生で頂点にあった時のアルバムを事務所名にしたのだから、それに恥じない、自由で創造的な活動をきちんとやって行きたい。そしてショーターがそれを知った時に喜んでもらえるような作品をきちんとつくって行きたい。 かずま
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by odyssey-of-iska
| 2015-03-14 19:33
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