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2009年 03月 23日
「サキコロ」が突破口となってジャズを聴くようになった私は、最初の頃はロリンズの他のアルバムや彼がサイドメンとして参加したアルバム、そしてそこに出てくる他のジャズメンのアルバムを聴いて、興味の輪を広げていった。 マイルス、モンク、クリフォード・ブラウン、バド・パウエル、チャーリー・パーカー、ジム・ホール・・・ 当然のことながら、ロリンズの生涯のライバルであり、友であったコルトレーンも聴いた。 コルトレーンのアルバムで最初に買って聴いたのは、「ア・ラブ・シュープリーム」と「クル・セ・ママ」だった。 が、これは当時の初級編の私には荷が重く、全く歯が立たなかった。暗い呪術的な叫びと単調な節の繰り返しに付いて行けず、すぐにお蔵入りになった。 私が本当にコルトレーンを好きになったのは、「マイ・フェイバリット・シングス」(アトランティック盤)に入っている「エブリタイム・ウィ・セイ・グッバイ」を聴いてからである。この、もの静かで深く、人生の一端を垣間見させてくれるバラードは何度も聴いた。 だが、コルトレーンのアルバムの中で一番数多く聴いたアルバムは間違いなく「バラード」だろう。 このアルバムに入っている8曲は、どれもがただ甘美なだけでなく、名演で、夜中に仕事をしながら聴いていると、その日あった嫌なことを忘れ、ささくれ立った心がいつのまにか癒されやすらかな気持ちになる、というようなことが何度もあった。 だから、一番好きで聴いたアルバムは?と訊かれたら、「バラード」だと言わざるを得ないが、一番凄いコルトレーンのアルバムは?と訊かれたら、間違いなく「セルフレスネス」だと答える。(正確には、この1曲目に入っている、ニューポート・ジャズ・フェスティバルでの「マイ・フェイバリット・シングス」だと答える。) コルトレーンの魅力は、一つのことを成し遂げたらそれに安住するのではなく、それを壊してまでも次のステップに突き進む、その精進の凄さだろう。それを愚直なくらい真面目に彼は生涯やり続けたが、その変遷のよくわかるのが、彼が数多く残した「マイ・フェイバリット・シングス」の演奏である。 コルトレーンの演奏は大きく分けて3つの時期に分けられる。 1つ目は、スタンダードな意味でジャズ演奏家として完成された演奏を残した時期。(初めに述べた「マイ・フェイバリット・シングス」(アトランティック盤)はこれに当たる) 2つ目は、シーツ・オブ・サウンドやフラジオ、ブローを駆使しながら、コルトレーンとしか言いようのないスタイルで精神性へ肉薄し、過激な演奏を残した時期。(ニューポート・ジャズ・フェスティバルでの「マイ・フェイバリット・シングス」はこれに当たる) 3つ目は、それがとうとう境界を越えて、無調の世界(フリージャズ)に入った時期。(東京やヴィレッジ・ヴァンガードでのライブでこの時期の「マイ・フェイバリット・シングス」を聴くことができる) コルトレーンにとって幸運だったのは、彼以外のメンバーも今から思えば最高の演奏家達で、(この当時のマッコイ・タイナーのように重厚かつリリカルなピアニストは未だいないし、エルヴィン・ジョーンズのように破天荒で本能的なドラマーは今後も出ないだろう)彼らがそろったコルトレーン・カルテットは史上最強のコンボだったと思う。 その頂点とも言える決定的な瞬間を捉えたのが、ニューポート・ジャズ・フェスティバルでの「マイ・フェイバリット・シングス」で、以後マッコイが抜け、エルヴィンも去ると、こうした演奏は聴けなくなる。 ・・・最初にコルトレーンの甲高いテナーサックスが天から降りて来て、マッコイの重厚なピアノと複雑なドラムとが絡む瞬間から思わず鳥肌が立つ。そしてソプラノサックスに持ち換えたコルトレーンの、初っ端にして既にハイなテーマ演奏が終わると、ジミー・ギャリソンの的確なベースと複雑なドラムに乗ってマッコイのピアノによる重厚でリリカルな展開が続く。このめくるめくアドリブの演奏を受け、コルトレーンのソプラノはさらに高みへ向かって突き進む。そのバックを強烈に煽り立てながら自由奔放に天駆け廻るドラムの凄さ。そしてそれに負けじとさらに熱く極限に向かって突き進むコルトレーンのソプラノ・・・フルボリュームで聴くと、いつも身体中から汗が出てくる。 この17分以上に渡る熱演の果ては、しかしとんでもないドンデン返しで終わる。 「ジョン・コルトレーン、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン・・・」と終演後にメンバーを紹介するアナウンスメントが続き、最後はなんと「ロイ・ヘインズ」で終わるのだ。 (この時、エルヴィンは薬で刑務所に入っていたので、ロイが代役でドラムを叩いたのだ。ロイにとってはまちがいなく生涯最高の演奏の一つだろう。) エルヴィンを史上最高のドラマーとして愛してやまない私にとって、このアルバムは、コルトレーン・カルテットの最高の演奏であると思う反面、そこにエルヴィンがいないというショックを毎回最後に味あわされ、唖然とするアルバムでもある。 かずま
by odyssey-of-iska
| 2009-03-23 16:39
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