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2022年 12月 23日
誰かの歌伴をしてたので、多分、場所は六本木の「サテンドール」かどこかで、1980年代の半ばだったと思う。セカンドステージの歌手が出てくる前にトリオでホレス・シルヴァーの「Nica’s Dream」を演った。とてもシンプルな美しいラインのピアノで、聴き惚れた。おかげで、その日の歌手が誰で何を唄ったのかは全く憶えていない。(ちなみに、その時の甲斐さんは痩せてて、腕も細かった) その後、何かある度に「Nica’s Dream」が私の頭の中を流れるようになった。 もちろん、ホレス・シルヴァーの、ではなく、甲斐さんのそれである。 10年くらい経ったある日、仕事を出し終わったご褒美に、それが聴きたくなった。調べるとラッキーなことに、代々木のナルでその夜演奏するらしい。すぐに電話で予約し、飛んでいった。 その日は私好みのインストによるトリオで、ファーストステージが終わった後に「Nica’s Dream」と紙に書いて店のスタッフに渡した。 セカンドステージの始めに甲斐さんはソロでそれを演ってくれた。 だが、10年前とは違い、それはとてもゴージャスでダイナミックな演奏だった。 とても驚き、ジャズは生き物なのだと再認識した。 (甲斐さんは少し貫禄がついて、その分、腕力もついていた) それから20年以上経ったある日、甲斐さんはどうしてるのだろうと思い、ネットで調べたら、数年前に亡くなってることを知った。呆然とした。もっと聴くべきだったと後悔した・・・ ここに彼女のファーストアルバムがある。 「Emily」 ジョニー・マンデルの「Emily」を演って、それをアルバム名にしたのだが、「私は(甲斐)恵美子です」というファーストアルバムらしい意味合いも感じられる。 だが、このアルバムで私が一番好きなのは「Tem do de min」と「The time of my life」の2つのボサノヴァだ。この2つの演奏を聴くと、日本人のジャズだなぁとつくづく思う。 もちろん、悪い意味で言ってるのではない。その逆だ。ジャズは世界に広がったワールドミュージックなので、その国特有のジャズが各国にある。日本のジャズの特徴は、アクが少し薄くて美しいメロディーの物が多く、どこか歌謡曲やJポップの香りもして聴きやすい。そして時にははかなさや可憐ささえ感じる。 甲斐さんの2つのボサノヴァの演奏には特にそれを感じる。 (2つ目のボサノヴァは甲斐さんのオリジナル) このアルバムで特筆すべきは、ベースのゴンさん(水橋孝)の独特のバッキングだ。特にソロに移った時の唄いっぷりの見事さは「これぞ、ゴンさん!」という感じで、何度でも聴きたくなる。 ドラムのドナルド・ベイリーのバッキングも見事。どこかお囃子のようなフレーズも絶妙で、このトリオにはマッチしている。 アルバムの最後は甲斐さんの「My funny valentine」の美しいソロで終わる。 どこかはかなく可憐で、もう一度聴きたい、と思うのだが・・・ これが人生だ。 かずま Odyssey of Iska 150-0001 渋谷区神宮前2-6-6-704 tel. 03-5785-1671 #
by odyssey-of-iska
| 2022-12-23 23:58
2022年 06月 22日
だいぶ前の事だが、玉置浩二が香港で行ったシンフォニックコンサートの様子をYouTubeで見たことがある。 単身出かけて行って、向こうのオーケストラとリハをして本番に臨むのだが、決して満足な時間がかけられなかったにも関わらず、その出来は素晴らしかった。 始まりから終わりまで聴衆の心をつかみ、かすれ声や深く響き渡る声、ファルセットなどあらゆる技巧を駆使して縦横無尽に操り感動を産み出していく姿を見て、「安全地帯」で聴き始めた玉置浩二という歌手が、既に歌手を超えた存在になりつつあるのを感じた。 これと 似た経験は他にもある。 シャルル・アズナブールが来日した時にTVで「イザベル」を歌うのを見た。だが、それは歌というより一人芝居のようで、後半になればなるほど、独白のセリフは迫真の演技となり、最後に深い悲しみが暗闇に残った。シャンソンが歌以上の何かであることをその時初めて知ったが、それはアズナブールだからできた芸でもある。 落語にも似たようなところがある。 本来は最後に「落ち(サゲ)」がつく滑稽噺に過ぎないのだが、演者は一人で登場人物何役も演じなければならない厄介なものだ。特に人情噺ではその没入感は半端ではない。私の好きな京楽さんの人情噺を私は勝手に「憑依落語」と呼んでいるが、これくらいのレベルになると、最後に涙が出た後、魂を清められてカタルシスさえ覚える。 同じ伝統芸能でも、地唄箏曲は少しニュアンスが違う。私は6、7回、福田栄香さんの会を紀尾井町で聴かせてもらっているが、凛とした佇まいとよく通る声に毎回身がシャキッとする。だが、一人から二人、三人と変わるに連れて、つまりソロからデュオ、トリオと演者の数と楽器が増えるに連れて、独特の間のズレによる艶やかな空間と時間が現れ流れ始める。私の身体はいつもこれを心地良いジャズのノリで捉え、自然と身体が動き出す。それは三人の演者のジャンルを超えた何かに、私の身体が共鳴するからだ。 こうしたことを何度も経験するうちに、歌手とか落語家とか演奏家とか狭い呼び名で呼ぶことの不遜さや不適切さを感じるようになり、別の言い方はないものかと思うようになった。 今、仮にそれを「表現者」と呼ぶことにしよう。 その意味は、ただ表現する者という意味ではなく、自分のジャンルを深め極めていくうちに、普遍的な感動や共感のレベルにまで達した者達のことをそう呼ぼうとしているのだ。 こうした普遍的なレベルの「表現者」が増えてくれば、逆にその人を介してそれまで興味のなかったジャンルでも共感の輪は広がっていくことだろう。 また、「表現者」のことを考えていくと、それは何も芸能や芸術だけに限らず、スポーツやアスリート、普段の生活の中でも多く散見できることに気づく。 例えば、駅や空港で無心に汚れと格闘する清掃員であったり、病院や歯科院で患者と真剣に向き合い治療する医師や看護士であったり、「いつも最高だな」と思える食事を手頃な価格でサッと出してくれる行きつけの店のシェフであったり・・・ 皆が「表現者」という意識で毎日を生きていけば、 人生や生活は今よりもっと豊かなものになっていくに違いない。 かずま #
by odyssey-of-iska
| 2022-06-22 15:57
2021年 09月 15日
夏が終りかけ、だが時折ぶり返して寝付かれずにすぐ起きてしまう夜がある。 昨晩がまさにそんな夜で、起きて水を飲み、時計を見たら、まだ2時過ぎだった。 すぐに寝ればいいものを、どういうわけか「Strong Man」が聴きたくなった。 要するに、心をボーッとしながら癒されたい気持ちになった。 CDを探したが見当たらず、しょうがないので手元にあったiPadでYouTubeを検索し、聴いた。繰り返し繰り返し聴いているうちに、心がリラックスして、ここ数ヶ月間の嫌な記憶を和らげてくれた。グラスに氷を入れて、軽くお酒を飲みながら、今度はアルバム全体を聴いた。そして、ウィントン・ケリーの他のアルバムも聴いていたら、いつしか夜が明けてきたので、慌ててベッドに戻り、寝た。 ウィントン・ケリーを初めて知ったのは、マイルスの「Someday my prince will come」(61')を聴いた時だ。最初のタイトル曲で、ケリーの揺らめくような和音と弾むようなリズムのピアノのイントロに導かれてマイルスの繊細で愛らしいミュートが続き、曲やアルバムの印象を決定づけている。 次に聴いたのは「ブラックホークのマイルス・デイビス Vol1,2」(61')で、このサンフランシスコのライブ録音はお酒を飲みながらリラックスして聴くのにぴったりだ。そしてそう思わせるのはケリーの見事なピアノのバッキングのおかげだ。 (最近このコンプリート版があることを知ったが、全部聴くと4時間かかるそうだ) 「Kind of Blue」('59)では、2曲目の「Freddie Freeloader」に参加してビル・エバンスのモード手法の演奏とは(いい意味で)違ったテイストを出している。 話を元に戻そう。 「Strong Man」をいつどこで初めて聴いたのかは覚えていないが、聴いた時にそのタイトルと可愛いピアノとのギャップに思わず口をあんぐりしながらニンマリしたことはよく覚えている。 ドラムレスの珍しい編成の中、ピアノ、ギター、ベースの3人がミディアムテンポで実に楽しくよく歌っている。(ジャケットにはPhilly Joe Jonesとちゃんと名前があるのにドラムレスなのは、録音時間にフィーリーが遅刻して先に4曲録音し、出来が良かったのでそのまま使ったから。 こういう冗談みたいなことはジャズにはよくある) 他のドラムレスの「Ill wind」「Don't explain」「You can't get away」もなかなかの名演。もちろん、フィーリーが入ったタイトル曲の「Whisper not」「Action」「Dark eyes」も出来はいい。 昔、中学生の頃、とても心が優しく、二枚目で頭もいいが、 痩せてて筋骨隆々とはとても言えないFのことを、 「ねぇ、お父さんってあんまり男らしくないよね〜?」とMに訊いたら、 「あんたはまだ子どもね。 男らしいってのは、優しいってことよ」とMが言いながら少し微笑んだ。 「Strong Man」を聴くといつもこの言葉を思い出す。 かずま #
by odyssey-of-iska
| 2021-09-15 19:57
2020年 07月 08日
失敗を恐れるな 失敗なんてないんだ 先日、BODY&SOULから一冊の本と礼状が送られてきた。 これは、このコロナ騒ぎでライブ演奏ができなくなった(現在は再開されている)ジャズクラブの老舗BODY&SOULのクラウドファウンディング支援に参加したお礼に送られてきたもので、本は6年前にお店が40年になるのを機に京子ママがお店の歴史をとわず語りに語ったものをまとめたものだ。(実際に出版されたのは5年前) その最初のエピグラフに、冒頭の凄い言葉があった。 言ったのはマイルス・デイヴィス。 さすが、マイルス!言うことが違う‼︎と、いきなり心を鷲掴みにされ、一気に読んでしまった。(夜3時までかかったが・・・) そして懐かしい気分になった。 BODY&SOULはジャズのてにをはを私に身体で教えてくれた場所だ。 初めて行ったのは81年の春で、今の南青山ではなく、六本木交差点近くのジャーマンベーカリービルの3階にあった。入ると、鰻の寝床のような細長い暗い部屋の奥にピアノがあり、その周りにカウンターが付いてて、ミュージシャンの顔や様子を間近で見ながら、酒と料理を味わい、ジャズが聴けた。 最初に聴いたのは、ツヨシさん(P)、コッコウさん(B)、シンジさん(Ds)の、山木剛トリオだった。(多分、その時、伊藤君子(Vo)もいたが、まだその頃は、彼女は今のように上手くはなかった) 以来、私はこのトリオを毎回聴いて、ジャズの楽しさと奥深さを学んでいった。 当時は3ステージで、終わるのはいつも11時半頃だったが、丁度その頃近くのクラブで演奏の終わったジャズメン達が遊びに来て、入れ替わり立ち替わり演奏するので、終電を逃して、そのまま聴き続けたことは何度もある。 外タレもよく遊びに来た。(私も何度かそういう場に出くわした) この本によると、「100ゴールド・フィンガーズ」のコンサートで来日したピアニストが大挙して来て、カウンターにズラーッと並び、端から順にピアノを弾く遊びを始めたのだそうだ。名前を挙げると、レッド・ガーランド、トミー・フラナガン、シダー・ウォルトン、レイ・ブライアント、ローランド・ハナ、ノーマン・シモンズ、ケニー・バロン・・・まさにワォ!だ。その場にいた人は超ラッキー‼︎としか言いようがない。 その他にも、ロイ・ヘインズ、アート・ブレイキー、エディ・ゴメス、ハンク・ジョーンズ、セシル・テイラー、スティーブ・ガッド、マイケル・ブレッカー、ナンシー・ウィルソン、サラ・ヴォーン、スティービー・ワンダー、ドン・チェリー・・・と、お店に遊びに来た有名ジャズメンの話や交遊録が続く。 これがニューヨークではなく、日本の東京の、ある小さなジャズクラブで繰り広げられた光景なのだから驚きだ。それは、六本木という地の利の良さに、京子ママの人徳、お店の雰囲気、演奏・料理・お酒のクオリティの高さ、日本の夜の安全性などが合わさった結果なのだろう。 BODY&SOULが最初にオープンしたのは新宿百人町で、1974年だという。(その前に歌舞伎町で、日本最初のジャズライブハウス「タロー」を開設している) 私の大学1年の時で、W大の理工学部からは目と鼻の先だが、当時はまだロック少年の終わり頃で、ジャズにそれほど興味はなかった。もちろん、BODYのことは知らなかった。 六本木に移ったのはそれから3年後で、最初はピアノの弾き語りがメインだったが、ほどなくライブ演奏を本格化させていったという。 私が聴き始める直前に、ツヨシさんがアメリカから戻り、BODYのハウスピアニストになる。そして、それから4年後にチンさんがアメリカから戻り、偶然BODYで深夜に聴いて、衝撃を受ける。 91年に、ジャーマンベーカリービルが地上げに会うのを機に北青山に移転する。 そして翌92年に、今の南青山に移る。 当時、私の事務所は北青山にあったので、BODYが事務所から歩いて5、6分の所に移ってきた時は驚いた。夜、歩いていたら、ツヨシさんがサイドメンと道でタバコを吸いながら話をしている。見るとガラスの向こうで客が大きな声で談笑している。外からライブの見えるジャズクラブは初めて見た。翌日行ったが、六本木のあの雰囲気は無くて、少しガッカリした。 オーナーである京子ママは当然それを感じてて、翌年、南青山に移った知らせを受け、行ったら、(キャパも含めて)俄然良くなってて、安心した。 チンさんのイーストバウンスのラストライブの時など、店内に入りきれない程の熱気で、今でもあの感触は身体が覚えている。 一冊の本を読みながら、こんなにクスクス笑ったり、相槌を打ったりするのは久しぶりだ。私にジャズをいろんな面で教えてくれたBODYに深く感謝する。 このコロナ騒ぎだけでなく、リーマンショック後は世の中の気質がすっかり変わってしまい、将来有望な人を育てる環境がどんどん無くなっている。(昨年、横浜の「Jazz is」が無くなったのは未だにショックだ) もしBODYが無くなったら、私のハートの半分は無くなってしまうだろう。 お仕着せの文化ではなく、アウトローの不良の文化を、これだけ深く愛情を込めて守り育ててきた人達に、心を込めて乾杯したい。 ❣️❣️❣️ かずま #
by odyssey-of-iska
| 2020-07-08 19:09
2020年 04月 06日
コロナ騒ぎで不安な世の中が続いている。 「心ここにあらずの時は心の癒される音楽が聴きたい」と言って、以前3.11の時はボサノヴァとヴィニシウス・ヂ・モライスのドキュメンタリーについて書いたが、 やはり、こういう時はボサノヴァのように深く心癒される音楽が聴きたくなる。 久しぶりに「Brasil」を取り出して聴いた。 このアルバムは、ジョアン・ジルベルト(1931-2019)が長い海外生活(軍事政権の台頭やボサノヴァ・ブームの衰退に嫌気がさし、メキシコやアメリカに滞在した)を切り上げてブラジルに戻った翌年に、彼の影響を受けてブラジル音楽に新しい風を吹き込んだ俊英3人(カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、マリア・ベターニア)を集めて、共同名義でつくったアルバムだ。 取り上げられているのは不思議なことに、ボサノヴァやジョアンの曲ではなく、サンバの古い曲やジャズの「All of me」をポルトガル語で歌った「Disse Alguem」などで、主旨替えしたのか?と思われそうだが、これがどうして、ジョアンの中ではブラジルとその音楽への愛が一番感じられる傑作アルバムなのだ。 それは1曲めの「Aquarela do Brasil」(ブラジルの水彩画)からすぐにわかる。 1939年にアリ・バホーゾによってつくられた”第2のブラジル国歌”を、ジョアン、ジルベルト、カエターノがハモりながらこの順で歌うが、(後輩2人がジョアンに遠慮して合わせたのか、)まるでジョアン1人で歌っているかのような独特のムードの歌だ。その印象は2曲めの3人のユニゾンだけで歌われる「Disse Alguem」でも変わらない。 3曲めの「Bahia com H」でやっとカエターノやジルベルトらしさが出てくるが、締めのジョアンの独特の声と歌い方でまたもやジョアン1人のアルバムに思えて来る。 5曲めの「Milagre」と最後の「Cordeiro de Nana」もこんな感じだから、もし4曲めにマリア・ベターニアとの「No tabuleiro da Baiana」がなければ、もう少し単調なアルバムに聴こえたかもしれない。 実はこのアルバムを最初に聴いたのは、ブラジル大好き人間のSが自分のCDをコピーしてくれたもので、クレジットがまるで無かった。 (Sらしいな)と思って聴き始めたら、4曲めの女の歌い手の声にビビンと来た。 電話をかけて「4曲めに歌っている女の歌手は誰だ?」と聞いたが、「知らない」とにべもない。(その頃はジャズonlyで、「Getz/Gilberto」はもちろん聴いていたが、他のブラジル音楽はほとんど聴いていなかった) いろいろ調べていくうちに、その歌手がマリア・ベターニアだとわかり、私はしばらく彼女のCDばかり聴いていた。 中でもやはり「No tabuleiro da Baiana」は特別だ。 他の3人との掛け合いの中で、彼女の枯れた独特の味わいある声が木陰に吹く風のようで、深い郷愁のようなものを感じ、何とも言えない気持ちにいつもなる。 話を元に戻そう。 ボサノヴァはサンバとジャズが融合した音楽だと言われるが、多分、ジョアン・ジルベルトがいなければそうならなかったかもしれない。もしくはもっと違った形のものになっただろう、と言えるくらい、ジョアンの果たした役割は大きい。 (もちろん、ジョビンやヴィニシウスの果たした役割も大きいが、ジョビンにインスピレーションを与えたのはジョアンの声とギターだ) 私には、サンバもボサノヴァもジャズも、ジョアンが歌えば、皆同じジョアン・ワールドミュージックに聴こえてしまう。 それほど彼の声と歌い方、ギターのかぶせ方はone&onlyで、不世出のミュージシャンだ。 その彼が晩年愛した日本で残した「João Gilberto in Tokyo」('04)と「Brasil 」('81)を聴きながら、長いコロナとの闘いを安らかな気持ちで乗り切りたい。 かずま #
by odyssey-of-iska
| 2020-04-06 18:54
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